給食変身、心にも栄養 乱れた食を味で改善
「うぉーーー」。のどかな10月の昼下がり、さいたま市内の大谷小学校に子どもの歓声が響いた。梨のビネグレットソースをかけた小松菜と水菜のサラダ、クリームソースによる白身魚の蒸し焼き、野菜スープにデザート。地元シェフによるフランス料理が給食に初めて登場したからだ。
楽しめるメニュー
同市では世界最高峰の自転車レース「ツール・ド・フランス」を冠した関連大会が開かれており、フランスの食文化に触れるため企画した。食べ始めると「すっごいおいしい」と笑顔が広がり、神谷雄大くん(9)は「なんだか大人になった気分」とうっとり。料理をしたパレスホテル大宮の毛塚智之シェフは「最近の子は食への関心が薄い。これをきっかけに興味をもってくれれば」と目を細めた。
こうしたユニークな給食は全国に広がっている。ズワイガニやハモ、ブランド牛など地元食材をつかった給食は多数ある。メキシコ風料理のチリコンカンや韓国料理のビビンバは定番に。長野県塩尻市のキムチとたくわんを混ぜた「キムタクごはん」や、津市の巨大「津ぎょうざ」など、商品化されたり街おこしの材料になったりするメニューも生まれている。いずれも「楽しい」メニューだ。
自分の頃は違った。そう思う人も多いだろう。「給食の思い出は世代により様々です」と学校給食歴史館(埼玉県北本市)の大沢次夫館長は話す。戦後本格化した給食で脱脂粉乳、コッペパン、鯨の竜田揚げという定番ができたのが1950~60年ごろ。東京五輪が開かれた64年には三角の牛乳パックが普及した。高度経済成長の波に乗り、徐々にメニューも増えていった。
学校給食歴史館を訪れた渡辺辰也さん(62)は「給食はまずい思い出しかない。脱脂粉乳は鼻をつまんで飲んだよ」と渋い顔。一緒に来た高橋真理子さん(38)は「ミートソースやカレーはおいしかったけどなあ」と懐かしむ一方で「子どもの給食メニューを見ると、カレーといってもキーマカレーとナン。自分のころとは変わったなと思う」。
一つの転換点となったのは2008年の学校給食法改正だ。1954年に制定された学校給食法に初めて「食育」の視点が盛り込まれた。飽食の時代に対応し、給食を通じて食文化や食事バランスを学ぶことにも重きが置かれた。地元食材や世界の料理が登場するなどメニューの多様化もこの流れに沿っている。
背景には子どもの食生活の乱れがある。十文字学園女子大学の山本茂教授は「習い事の前にコンビニで間食するなど、適切な時に適切な食事をとる機会が減っている。両親も忙しい。きちんとした食事は学校給食しかない子どもが増えている」と指摘する。
子どもの貧困深刻
特に深刻なのは近年増加している貧困家庭だ。新潟県立大学の村山伸子教授の調査では所得が低い家庭ほど野菜の摂取が少なく、インスタント食品が増える。「食事を楽しいと思わない子もいる。消費増税で食費を節約しようとすれば、より質が低下する」と村山教授は危機感を募らす。
食料支援のNPO法人フードバンク山梨の米山けい子理事長も厳しい現状を目にしている。「野菜というと基本はモヤシ。ケチャップやマヨネーズでいためて毎日食べている。炭水化物でおなかを満たすので貧困家庭でも太っている子もいる。今や子どもの6人に1人が貧困にあるが見かけではわからない」という。
食べ物があふれていてもバランスはいびつ。食への関心も薄れ気味。今の学校給食は、そんな時代に生きる子どもたちの心と体に栄養を届けている。
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忘れ得ぬ学校の思い出 冷凍ミカンやあげぱん、定番
ツイッター上で多かったのは学校給食を懐かしむつぶやきだ。「今更やけど、給食が恋しい笑」「久々に給食が食べたいあー中学戻りたい」という声や、「定番だったなあ、冷凍ミカン」「あげぱんおいしかった給食なつい」など定番メニューを振り返る声が多かった。「このおかずは多くして!給食当番との裏取引」という内緒話もあった。
子どもの関心は給食時間に流れる音楽に集中していた。「ギブス給食中かけてもらお!!」「今日給食のときHey!Say!JUMPの歌流れた」などだ。肝心のメニューについては「給食のパンてどーしてこんなにパサついてんだろ」「明後日の給食は担々麺なんだよなぁ辛いの続くなぁ」など少しぜいたくなコメントもあった。
調査はNTTコムオンラインの分析ツール「バズファインダー」を用いた。
(福山絵里子)